すべての家族と、それを支えるすべての人を照らす

おうち、てらす

誰もが誰かのドリームサポーターに

|1|2|》

 

「夢」を応援している団体があります。わたしがAlazi Dream Project代表の下里夢美さん(ゆめちゃん)に初めて出会ったのは、ちょうど昨年の今頃でした。素敵な名前だな、と思ったのと同時に、その名前を胸に全力疾走する姿がとても輝いていたのが印象的だったのです。

今回は、そんなゆめちゃんの夢支援×国際協力にかけた思いをお聞きしてきました!
(カメラマンにも同行いただいたので、たっぷりの美しい写真と一緒にお楽しみくださいませ♡)

スクリーンショット 2016-02-28 23.13.26

 

image1

まずは簡単に自己紹介をお願いします!

image1

Alazi Dream Projectの下里夢美です。わたしは自分の名前に「夢」がついているので、夢をテーマにした活動をいままでにたくさんしてきました。

image1

Alazi Dream Projectは、日本人の夢を応援するイベントの開催を通して、シエラレオネ共和国への支援活動をされていますが、ゆめちゃんが国際協力に目覚めたきっかけは何でしたか?

image1

高校生のときに、「世界がもし100人の村だったら」というドキュメンタリー番組を観たんです。番組では、8か国のストリートチルドレンが紹介されていました。ロシアの水道管のなかで寒さをしのぐ男の子や、フィリピンのゴミ山に住む男の子、アフリカで舌にペッてやるだけのワクチンを受けられなかったばかりにチフス病を罹ってしまい、歩けなくなった男の子…。そのなかでも、一番忘れられなかった男の子が、シエラレオネ共和国のアラジくんでした。シエラレオネは良質なダイヤモンドが採れる国なのですが、そのダイヤモンドの鉱山をめぐって政府軍と反政府軍が約10年もの間戦っていました。反政府軍はゲリラとなりで民間人のなかに入っていって略奪、レイプ、虐殺などを繰り返していて、多くの人がその争いに巻き込まれていました。アラジくんもその一人で、彼は両親をゲリラに目の前で殺された男の子でした。親を失って、その日食べるものも着るものもなく、きょうだいに分け与えながら働いている彼の姿が画面に映されていました。

そのとき、わたしは高校で吹奏楽部に入っていたのですが、すごく厳しい部活でした。同時に、わたしは母子家庭で生まれ育っていたのですが、お父さんができたばかりのタイミングでもあって家庭のことに悩んでいました。勉強も、進学コースだったので毎日必死で、いろんなことが重なって、「もう何もかもやりたくない!」っていう状況だったんですね。

で、そのときにアラジくんの一言がすごく忘れられなくって。彼が日本人の記者の「何かほしいものはある?」という問いに対して、「なんにも欲しいものはないから、勉強がしたい」って言ったんです。

わたしは何もかも持っているけど、そのすべてを手放そうとしている。一方で、彼は何も持っていないけれど、勉強がしたい。たった6歳の子どもが、毎日ダイヤモンド鉱山で鉄くずを探す単純労働しか今はできないけれど、勉強をすればもっといろんなことができるということを知っていたということが、まず大きな驚きでした。そして何より、物質的な豊かさを持っている自分のほうが、そうでない彼よりも、精神的に貧しいと気がついたのです。これがターニングポイントでした。

20160124-DSC_1102

image1

国際協力を仕事にしたい、ずっとやり続けたいと強く思い、国際協力を学べる大学に進学しました。でも、国際協力とかボランティアで食べていくって難しくて、みんな悩むんですよね。卒業のための単位を完成させるのに、国際協力をしているNPO法人にインターンに行くことと、途上国に研修に行くことが課されていたのですが、実際に途上国に行って現実を目の当たりにするんです。NPOは新卒ではなかなか入れなかったりもするので、学生団体の代表をやったり、NGO関連の卒論を書いても、みんな悩みながら就活し、就職を決意する。そうやってみんなもがいていくなかで、わたしはそのときに出会った方と一緒に国際協力団体を立ち上げて、一緒に活動していくことを選びました。

 image1

どんな出会いだったんですか?

image1

わたしがインターンに行ったのが、「シャプラニール=市民による海外支援の会」っていうバングラデッシュの支援をしているNGOだったんですけど、インターン修了後にシャプラニール主催のチャリティBBQがあったんですよ。理事の人なんかもいらしていて、みんなアジアの貧困の話をしていました。でもなぜか、わたしはシエラレオネのことが頭にあって、シャプラニールの理事の人にしきりにその話をしていたんです。そしたら、「あっちのテーブルでも全く同じ話をしてる子がいるよ」って言われて。びっくりしました。このアジアの貧困に関心の高いこのコミュニティのなかで、まさかシエラレオネの話をしている人がもう一人いるだなんて、と。そこで出会ったのが、今は青年海外協力隊でマラウイに行っている坂井晴香さんでした。彼女はわたしの一個上なんですが、テレビでアラジくんを見たことがきっかけで、実際にシエラレオネにも渡航したっていうつわものの女性で。すっかり意気投合して、その3か月後には一緒に団体を立ち上げていました。名前は「アラジ」にしようって決めて。

image1

それは、とても運命的な出会いですね…!

image1

そうなんです。アラジを立ち上げたのは、番組がオンエアされた日からちょうど5年後の3月7日でした。わたしは、すごく辛いことだとか、家族のなかでギクシャクしていたときとかに、必ずアラジくんのことを思い出して「絶対アフリカに行くんだ」と自分を鼓舞していました。5年間、忘れなかった日はなかったくらい、ずーっと、アラジくんのことを考え続けていて、それがようやく形になったんです。

12715544_989806917772143_5184415789583122302_n右・Alazi Dream Project代表:下里夢美さん 左・創設共同代表:坂井晴香さん

 

image1

夢を支援することがシエラレオネの支援になる、という斬新なしくみはどうやって編み出されたんですか?

image1

途上国の支援という目標のために寄付を集めて、それをそのプロジェクトのためだけに使うっていうのではなくて、関わっている日本の人もハッピーになれるようなしくみにしたいなって思ったんですよ。そのきっかけというのが、大学3年のときのファンドレイジング協会との出会いでした。

大学の国際協力の授業って、NPO法とか国際法とか社会学は学ぶんですが、実際に活動をマネタイズしていくことっていうのを何一つ教えてくれなかった。だから、国際協力に興味があって、やる気もあって意識も高いんだけど、いざやろうとしてつぶれちゃう、という人がたくさんいる。わたしは国際協力をし続けたいし、それで食べていけることを社会に証明したいと強く思い、そこで、ファンドレイジング協会に行って、寄付の仕組みや、組織マネジメントなどを学び、資格を取得しました。それで、私たちならではの新しい支援の仕組みを考えるようになったんです。

アラジも当初はチャリティイベントをやっていたのですが、集客がすごく大変で。イベントをビジネスとしてやっている人には理解しがたいことが発生するんですよ。ていうのは、イベントって本来、社会のニーズがあるところに打ち出すから商品も売れるし人が集まるんだけど、国際協力のイベントとなると、どうしてもわたしたちが伝えたいことを形にする場になってしまう。参加者のみなさんにも、同じパッションを求めてしまう。そうなると、興味のある人しか来ないし、興味の薄い層は来れないなって気づいたんです。

image1

たしかに…。これから興味を持ってほしい人たちに足を運んでもらうとなると、直球じゃ響かないですもんね。

image1

じゃあどうすればいいかなって考えて現状を見直したときに、国際協力という「わたしの夢」を応援する形でみんなの時間を削る形になっていることに気づきました。その状態がすごく嫌で。わたしはリーダーとして存在しているけれど、誰もが主人公であってほしいと思うんですよね。だから、せっかくみんなも夢をもっているのだから、みんなの夢をピックアップして、アラジのなかでやりたいことができる仕組みにしようと思い立ちました。みんなのいろいろな夢を発表して、それが寄付になる、自分の夢が国際協力になる、そんなWin-Winの関係を作ろうと。

 image1

「自分の夢が国際協力になる」、素敵ですね!

image1

その何が良かったかというと、わたしもいろんな人の夢や考えやビジネスアイデアをタダで聴けたりする(笑)。そして、いろんな価値観を知ることができる。アラジには制約がないんですよ。国際協力の専門家や、パッションがあって理解のある人だけの集まりじゃなくて、「国際協力とかよくわかんないけど、俺はこういうことが話したい!」って、いろんな夢を持ち寄った人たちとつながれることが日々楽しいんです。わたしも、国際協力だけをやって、途上国にトイレをつくるとか井戸を作るとか、ただそれだけをやっていたらきっとつまんなかっただろうし、行き詰まっていたと思うんだけど、いろんなタイプの人に会えることが原動力かなと思います。

 

|1|2|》

>> <<