すべての家族と、それを支えるすべての人を照らす

おうち、てらす

たった一度のこの体を使い切る

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土曜日の東銀座。閑散としたオフィス街のてんぷら屋さんに集まったのは、NPO法人Bridge For Smileにボランティアとして関わっている、初対面の3人。

今回インタビューをさせていただくのは、川瀬信一さん(愛称:しんさん)。カメラマンは、初登場のさくらいさんです。

 

ーしんさん、今日はよろしくお願いします! ちなみにこちらのカメラマンも、わたしと同じく家族社会学専攻なんです。

 

さくらいさん(以下、さくらい。基本はカメラマンですが、ちょくちょく登場します):よろしくお願いします!

 

◼︎3つの役割

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ーまずは、しんさんが今どんなことをされているのか教えてください。

児童福祉の分野で、指導者・生活者・支援者という三つの異なる役割を持っています。

指導者としては、児童自立支援施設(旧称:教護院)で、教員として働いています。

 

ーそれって、住む場所も勉強する場所もあるところなんですか?

そうなんです。児童自立支援施設は、「育て直しの場」です。健康的で機能的な環境で育つ機会を逸し、何らかの事情で、家庭、学校、児童養護施設などにいられなくなってしまった子どもたちが暮らし、施設内の学校で学んでいます。全国に58ヵ所あって、およそ2000人弱が在籍しています。厚生労働省管轄の児童福祉施設の中に、文部科学省管轄の学校が置かれています。おもしろい構造ですよね。

生活者としては、千葉県のA学園という児童養護施設に住んでいます。

 

さくらい:ほう。

 

施設での生活と、施設を出たあとの生活との間には大きなギャップがあります。そのギャップを埋めて、ナカとソトの橋渡しをするような立ち位置です。アルバイトをしたいという高校生がいたら、何故アルバイトをするのか、退園までにどのくらい貯金が必要なのか、どこでアルバイトをするのかを一緒に考えます。先日は、美容師を目指している高校生に、児童養護施設で訪問理容をしているボランティア団体を引き合わせて、将来の職業をより明確にイメージしてもらえるような機会を設けました。

 

ー施設に住むって、どんな感じですか?

出かけるときや帰ってきたときに、子どもたちが、「いってらっしゃい」「おかえりなさい」って言ってくれるんです。これは、僕にとっては家族ですね。

 

ー逆に、辛いことは?

職員の勤務が交代制であることや、管理的に関わらざるを得ない部分もあって、子どもたちが安心して生活できる環境をどこまで提供することができているのか、疑問が残りますね。

 

ー最後に、支援者としてはいかがでしょうか?

支援者としては、Bridge For Smileでの活動がメインです。ソトからの関わりですね。施設に、社会的な資源を取り入れてもらう。

 

さくらい:Bridge For Smileはそれが強いですよね。プロボノ的に一般の人がたくさん関わっているし。

 

ウィーク・タイ(弱い紐帯)ですよね。ゆるく繋がっていて、困ったときに何かの助けになってくれる関係性。ウィーク・タイのほうが、人生の転機となる重大な影響を与える可能性が大きいと言われています。同調性の高いストロング・タイのなかでは気付けなかったものに、気付かせることができる。それが支援者としての強みかなと思います。

 

ー三つの役割を持つに至るまでには、どんな経緯があったんですか?

これらの役割の根底にあるのは、当事者としての経験です。

僕が育った家は、ゴミだらけでした。食事もきちんと出してもらえない。いわゆるネグレクトですね。風呂場もゴミで埋もれているので、父が近所の銭湯に連れて行ってくれました。幸いなことに、僕はいろいろな友達の家に遊びに行くことができました。裕福な家族、一家5人で小さなアパートに住んでいる家族、おばあちゃんが一人で子どもを育てている家族…様々な家族や家を見ているうちに、自分の家がおかしいことに気付いたんです。友達は僕を家に招いてくれるけど、友達をゴミだらけの自分の家に招くことはできない。「なんで普通の家じゃないんだ!!!」と、家で叫んでいた記憶があります。

身体的な虐待もありました。ある時、友達の誕生会に参加して、帰りが遅くなった。珍しくシチューをつくっていた母は、帰りが遅い僕に激怒して、僕にシチューをかけました。異変に気付いた担任の働きかけで、児童相談所に一時保護されることになりました。一旦は家に戻ったものの状況は良くならず、家や学校に寄り付かなくなり、小学校6年生のときに、再び一時保護に。そこで僕は、「家を出たい」と、児童相談所の職員に伝えました。職員は僕に、里親家庭で生活するか、施設に入るかという、選択肢を与えてくれました。友達を呼べる、「普通の家」で生活することを望んでいた僕は、里親家庭を希望しました。

 

さくらい:僕、児童相談所の指導員としてアルバイトをしていたことがあって、そういう話は聞いたことがあります。施設に措置されるケースが多いなかで、里親って珍しいですね。

 

ー里親のもとでの生活はいかがでしたか?

里親さんは、僕に家の手伝いをするように言いました。雨戸を開け閉めする、花に水をやるなど、簡単なことです。僕のことを家族の一員として受け入れようと、一生懸命考えてくださったんだと思います。でも、「これくらいならできるだろう」と思っていたことが、できなかった。これまで、何かを習慣づけて行う生活をしてこなかったから、当然ですよね。

またあるときには、「あなたがこの家に来てから、水道代が2倍になった」と言われました。原因はお風呂です。風呂場までゴミだらけの家で育った僕にとって、お風呂といえば、近所の銭湯でした。そこでは、蛇口をひねればシャワーは出っ放しです。それをそのまま里親さんの家でもやっていたんですね。その時、「あなたはよっぽどお金持ちの家から来たのね」と言われて、僕は、「あの酷い家で生活していたことを、里親さんは知らないのか。じゃあ、普通の家で育ったふりをしよう」と思ってしまったんです。そこから、本音が伝えられなくなってしまいました。

良い子でいなければいけないけれど、当たり前のことができない。次第に家の中から笑顔が減り、会話が減り…手間のかかる子だと思われているようで、苦しくなりました。

当時、学校で「ドクターグリップ」というシャープペンが流行っていました。僕も欲しいと思ったけど、里親さんにねだることはできなかった。だから、貯金箱からお金を盗んだり、万引きをしたりするようになりました。そのことが発覚して、里親さんの家で生活することはできなくなりました。里親さんの下で生活したのは4か月間でした。

そのあと、児童自立支援施設に行きました。当時生活していた施設で、今働いているんです。

 

さくらい:へえええ!
児童自立支援施設は、集団の中で規則正しく生活することを学ぶ場所です。そこで1年過ごしたあと、児童養護施設に移って4年半過ごして、大学・大学院に進学し、教員になり今に至ります。

 

 

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