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【さかいめ革命vol.3】格差の上にある生活

 

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先日おじゃました、毎日メディアカフェ「外国人家事支援人材の実態を知って、考えよう」

大学の卒論で「家庭内労働の再編(※)」をテーマにしていたこともあって、個人的に非常に関心のあるトピックのひとつです。
(※家庭内でいかに労働力を分散できるか、家庭外にいかに委ねられるか、なんていうことを考えていました)

 

そこで上映された映画『イロイロ ぬくもりの記憶』

1997年、シンガポール。
ある共働き夫婦と一人息子ジャールーの家族に迎えられたフィリピン人のメイド、テリー。
ジャールーの反発、テリーの郷愁。
そして、家族に弱みを見せられない父と、家事・育児を手放して揺らぐ母。
家族の抱える様々な歪みが、リアルに描き出されていました。

 

印象深かったポイントをいくつか。

 

【1】家族に弱みを見せられない父

15年間営業職に従事してきた彼は、不況の煽りを受けてリストラをされてしまう。
でも、家族の誰にもそれを打ち明けられなくて、足元のタバコの吸殻だけが増えていく。
母も働きに出ているにもかかわらず、家計を支える責任は依然として父に重くのしかかるのです。

 

【2】家事・育児を手放して揺らぐ母

トラブルメーカーの息子に手を焼き、メイドを雇うことにした母。
これまで担ってきた掃除や料理をテリーに委ね、自由を取り戻したかのように見えましたが、テリーに懐きはじめた息子の「テリーの料理の方がおいしい」の言葉に表情を歪めます。
「母なるものの役割」から手を引いたことで、息子に対する自分の立ち位置を見失い、希望を求めて変な詐欺に引っかかる。
葛藤する彼女の姿が痛ましくもありました。

 

【3】格差

テリーには、祖国フィリピンに12ヶ月の子どもがいました。まだ幼い子を残して一人、異国で住み込みのメイドをしています。
家庭内労働の外注には、格差が前提にあります。テリーにはおそらく祖国で働き口がなく、家族を養うためはるばるシンガポールまで出稼ぎに来ているのでしょう。シンガポール国内で外注できる人材がいないのは、ほかにもっといい職があるからです。安い労働力を近隣の国から手に入れることができるから、決して裕福ではないジャールーの家でもメイドを迎えられたのです。
夜、テリーは涙をこらえながら実家に電話をかけます。子どもはもう寝ていて、話すことも叶いません。

フィリピン人の雇用創出、そして家族(とくに母親)の家事責任からの解放という意味で、外国人家事労働者を活用することには大きな意義があるでしょう。
家族の天使である母による無償の労働であった家事・育児が、有償労働として市場で評価されるようになってきていることには、確かに意味があります。
しかし同時に、これが格差を前提にした搾取のしくみであることを理解しておかなければなりません。

 

格差がなくとも、家庭内労働を外部化する方法があります。

 

それは、その労働の市場価値を引き上げることです。
家庭内労働の価値が高まれば、給料が上がります。そうすれば、国内で人材の調達ができます。あるいは、外国から調達するにしても、待遇が改善されるでしょう。
フェアトレードと考え方は同じなのかもしれません。
今までが、安すぎた。

 

今一度、立ち返って考えてみてほしいのです。
卒論は書き上げましたが、まだ答えにはたどり着けていません。

 

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