ゆるやかに、ずっと、家族である

家族、ってわたしたちは日々口にするけれど、誰から誰までが家族なのか、何をしたら家族なのか、何をしなかったら家族なのか、どのくらい離れていても家族なのか、そういうものをあれこれ真面目に考えはじめると、実に深い。

簡単には説明しつくせない家族というものを、あっちからこっちから切り取りながらその手がかりを見出したい。そんな途方もない試みをはじめます。

名付けて、「カゾク鼎談」。


第2弾は、ショウコさん(ライフコーチ)とイワサキさん(弁護士)、そしてスペシャルゲストのイワサキベイビー(1歳)でお送りします。お昼寝から目を覚ましたベイビーのかわいさに心を奪われるところからお喋りがはじまり、結婚のはなし、子どものはなし、そして家族のはなしへと広がります。


ワタシ:かわいい…。

ショウコ:かわいい…パパと顔、似てますね!

イワサキ:そうですかね?

ワタシ:かわいすぎてずーっと見ていたくなる…。でも、最近読んだ記事で、人見知りの赤ちゃんは知らない人と目が合うのが怖くて泣いちゃうって書いてあって。あえて目を逸らすのが泣かれないポイントらしいですよ。

ショウコ:そうなんだ!

ワタシ:でも見ちゃう!!

ベイビー:(泣)

ワタシ:ああ…ごめん…。

ショウコイワサキ:(笑)

ベイビー:(おやつを食べて気を紛らわせる)

 

♠結婚のはなし

ワタシ:ところで、イワサキさんはなぜ結婚をされたんですか?

イワサキ:「結婚したい!」という意識が先にあったというよりは、「この人とこの先もずっと一緒にいるだろうな」という感覚でした。そのためのもっともベーシックな方法が、結婚制度に乗っかることだったんでしょうね。当時そういうふうに考えていたかはわからないけれど…。逆にお二人は、結婚したいと思います?

ワタシ:ことさらに「結婚したい!」とは思っていないです。なんというか、差し迫った必要性を感じていない。一方で、子どもを育てたいという気持ちはあって…。

ショウコ:あ、わたしも! 結婚っていうか、子どもがほしい(笑) わたしの周りでもそういう声は結構聞く。

ワタシ:結婚そのものには正直なところあまり価値を感じていなくて、二人で子どもを育てるとなったときにその必要性が生じてくるようなイメージなんですよね。

イワサキ:実際に自分が結婚をしてみて思うのは、自分たちの関係を「夫婦として社会的に承認してもらえる」というのは一つの重要な意義なんじゃないかと。

ワタシ:確かに、そういう側面はありますね。それって裏を返せば、現状の結婚制度に乗っかることのできない人たちはパートナーシップの社会的な承認を得ることができないということでもあるわけで。そう考えると、結婚制度から距離を取りたくなる気持ちもあります。

ショウコ:現状の結婚制度が想定している「家族」って、画一的すぎるよね。もっと多様な形があっていいんじゃないかと思う。

 

♣子どものはなし

ワタシ:さっき、「結婚っていうか子どもがほしい!」という話がありましたが、仮に問題なく結婚制度に乗っかることができたとしても、「いつか子どもがほしい、でも今じゃない問題」が立ちはだかる。わたしは今児童福祉の現場で働いていて、圧倒的に女性の多い職場ですが、土日出勤あり宿直ありという勤務形態。この仕事を続けながら家族を持つことはそもそも現実的なイメージができなくて、かなりの覚悟が必要という現状です。

ショウコ:そうだよね…。時間的な「今じゃない」に加えて、経済的な面でも「今じゃない」感がハードルになりえる。わたし自身もそうだし、わたしのコーチングを受けてくださる方には個人事業の立ち上げ期の方も多いのね。将来的には子どもを望んでいても、「まずは仕事が安定しないことには…」とどうしても仕事優先にならざるをえない部分がある。

イワサキ:弁護士も個人事業だと同じですね。産休や育休の制度がないので、休んでいる期間は収入がなくなってしまう。

ワタシ:だいたい、夫婦二人だけ(場合によっては一人きりで)で子どもを育てなくちゃいけないという暗黙の前提がハードすぎますよね。体力的なことももちろんだけれど、生命や人生がかかっているわけだから、その精神的なプレッシャーも計りしれない。

ベイビー:(おやつを食べ終え、現実に引き戻される。再び涙)

 

イワサキ親子、一旦退室)

 

♥家族のはなし

ワタシ:もっとゆるやかに考えてみませんか? たとえば、結婚とか血縁関係とかそういうものを抜きにしたときにも家族らしい関係性の集団をつくることができるかもしれないとしたら?

ショウコ:何があれば「家族らしい」といえるんだろう?

ワタシ:かなり突拍子もない例ですけど、たとえばわたしとショウコさんが「今日から一緒に暮らそう」となっても、それは家族らしいとはいえなさそうですよね。

ショウコ:あー、確かに。それは単にルームシェアって感じ。

ワタシ:同性間なので現行法では不可能ですけど、婚姻関係があればまずまちがいなく「家族」ですよね。代替するならば事実婚?

ショウコ:事実婚って具体的にどういう関係?

ワタシ:うむむ…少なくとも一緒に暮らしていることは条件になる気がしますよね。事実婚の別居婚ってなかなか聞いたことがない。

ショウコ:事実婚と同棲はイコール?

ワタシ:ニュアンスが違う気がする…。事実婚のほうが、この先もずっと続く関係性を約束している感じで、同棲は一緒に住んでいる現在の状態のこと(※個人的な見解です)。

ショウコ: 面白いね、言葉のこの微妙な違い。

ワタシ:仮に事実婚には同居が必要条件だとしても、家族は同居していなくても家族と認識されますよね。そう考えると、血縁か婚姻関係の少なくとも一方があることが、「家族らしい」とされる十分条件になるといえそう。

ショウコ:それって何でだろう?

ワタシ:血縁って切れないからじゃないかなって思うんです。仮に嫌いになっても、死んでも、血の繋がった人である事実は消えずにずっと続く。

ショウコ:事実婚と同棲の違いのところでも出たね、「ずっと続く」ってワード。

ワタシ:家族らしさには、ある程度長期的な関係性が条件になるのかもしれません。

ショウコ:添い遂げるような関係。「もしもわたしたちが一緒に住んだら」の思考実験の一応の結論としては、婚姻関係は不可能だとしても、これからずっと一緒にいましょうという約束をしたときに家族になれるのかもしれない、といったところかな?

ワタシ: そうかもしれないですね。運命共同体じゃないけれど、この先も関係が続くという確信をお互いが得ていること。

ショウコ:孤独死が不安だから、老後に一緒に集まってグループホームをやろうみたいな話をたまに聞くよね。ホームがハコになって中のメンバーがころころ変わるようだと家族感が薄いかもしれないけれど、固定メンバーで一緒に生活することを約束すれば、それはもはや家族なのかもしれない。

ワタシ:経済的にも、集まることによってコストが下がって自立できるという利点がありますよね。

 

イワサキ親子と合流、これまでの話をシェア)

 

イワサキ:面白い視点ですね。終身、死ぬまで一緒に繋がっているという確信、というわけですね。

ショウコ:こういう家族のあり方が自然に受け入れられるような環境であれば、「結婚は特に望まないけれど子どもはほしい、でも1人で子どもを養う自信はない!」っていう人たちが子どもを育てられるようになる。それってすごく新しい!

ワタシ:少子化対策はもとより、社会的養護(※1)の文脈でも里親の担い手を増やすことに繋がるだろうし、そもそも子育てを抱え込む必要性がなくなれば社会的養護を必要とする家族からして少なくなるかもしれないし。妄想が膨らみますね!

ショウコ:とはいえかなり急進的ではあるけど…(笑) 『フルハウス(※2)』で男三人が一緒に住んで子どもを育てていて「家族だなぁ」って思ったことがあったけれど、あんな感じなのかな。

ワタシ:「異性愛の親と子ども」という構図に限定されていた家族が、「同性愛の親と子ども」に拡大して、さらには「性愛関係にない親と子ども」にまで拡大するという! わくわくしますね。

ショウコ: バンド組むみたいな感覚に通ずるものがありそう。家族をつくるという行為が、同じ志をもつ者同士がきわめて選択的に行うものになるということ。

ワタシ:非婚とか孤独死とかって、結婚というカードを切れなかったがためにこうなってしまったみたいな位置づけがされているけれど、こうやって選択的に「家族らしい関係」を築いていくということが結婚に取って代わられていけば、結婚というカードを使わずして子どもを育てたり共に老いていく仲間を得たりすることが当たり前にできるようになる…そういう多様性がゆるやかに広がることで、画一的なガチガチの「家族」の枠組みにうまくはまれない苦しみから多くの人が救われるかもしれませんよね。

ショウコ:まさに。どう生きていくか、他者とどう繋がっていくかがもっと自由に選べるようになっていけばいいなと思う。

イワサキ: 一人ひとりにそれぞれ違った家族のかたちがあるし、これからどんどん多様化していくのかなと感じます。普段は「家族って何だろう?」って考える機会はなかなか無いですけど、たまには頭使って言葉に出して考えてみるのも面白いですね。

ワタシ:そう言っていただけて嬉しいです! そう、面白いんですよ!

イワサキ:今日は、子育ての喜びと大変さをリアルにお届けしながら(笑)、カゾク鼎談に参加できて嬉しかったです。ありがとうございました!

 


注釈

※1 社会的養護:「子どもの最善の利益のために」と「社会全体で子どもを育む」を理念として、親元で生活をすることができない子どもを社会が責任を持って育てること。児童養護施設等の施設のほか、里親家庭などがある。

※2『フルハウス』:アメリカで、1987年から1995年に放送されたコメディドラマ。妻を事故で亡くした男が男友だちと同居して3人娘を育てるストーリー。


参考

  • 山田昌弘(2004)「家族の個人化 (特集「個人化」と社会の変容)」,『社会学評論54(4) (通号 216)p.341~354, 日本社会学会.