映画のなかのカゾク

さくらいおじゃるは、無類の映画好き。観る映画のタイトルは不思議とかぶるのに、潔いほどにことごとく評価の分かれる仲のよい二人。唯一の例外が現在上映中の某ゾンビ映画であることが最近判明しています。

カゾク鼎談第3弾は、そんな友人たちと話題の『万引き家族』を語ってみました。ネタバレ全開につきご注意ください。
『万引き家族』以外の映画についてはネタバレしないことをお約束します。

 

是枝裕和監督 最新作『万引き家族』公式サイト

高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、柴田治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込む。彼らの目当ては、この家の持ち主である祖母の初枝の年金だ。足りない生活費は、万引きで賄っていた。社会という海の底をひっそりと漂うような家族だが、なぜだかいつも笑が絶えず、互いに口は悪いが仲よく暮らしていた。−−

 

おじゃる:『万引き家族』、やはりさくらいはもやっと終わるのがお気に召さなかったでしょうか?

さくらい:召すか召さないかで言ったら、まあ召さないですね(笑) おじゃる的にはどうだったんですか?

おじゃる:ぼくはね、結論下せないなって思ったんですよ。自分があまりにも語るべき言葉を持っていないと。ちょうど、『万引き家族』を観た翌日に『そして父になる』がテレビでやっていて。


解説!『そして父になる』(監督:是枝裕和)

建築家のエリートサラリーマン家庭(福山雅治と尾野真千子)と田舎で小さな電気屋を営んでいる家庭(リリーフランキーと真木よう子)の子どもたちが、実は出生時に病院で取り違えられていることが発覚する。6年間愛してきた他人の子どもと、血の繋がった子どもを前に、子どもを交換するべきかこのまま育てていくべきかと葛藤する話。


そこでは、いわゆる「持てる者」と「持たざる者」の両方の景色が描かれている。一方で今回の『万引き家族』は「持たざる者」しか描かれていなくて、それがそのまま「(持てる者として)お前らはどう考えてんだ?」って突きつけてくるような感じ。別に俺が福山雅治だって言うつもりは全然ないけど(笑)

ワタシ:その突きつけられる感じは、まさにわたしも感じていたところ。正義の人たちの持つ残酷さ。現実に「万引き家族」のあの人たちのような家族がいたとしたら、きっとわたしは同じように残酷な正義をふりかざすだろうと気づいてしまう。

おじゃる:終盤に登場する警察官役の高良健吾と池脇千鶴のことだよね。彼らって、『きみはいい子』という別の映画で共演しているんですよね。


解説!『きみはいい子』(監督:呉美保)

虐待、ネグレクト、いじめ、学級崩壊などの現代社会が抱える問題を取り上げた群像劇。尾野真千子演じる主婦がどうしても子どもに手を上げてしまういう虐待を描いたパートでは、近隣住民役の池脇千鶴から「理想の親になんかならなくていい」というメッセージを受け取ったことが、彼女の救いになる。ちなみに、高良健吾は別のパートで教師役として出演。


ぼくはこの作品を意識して二人をキャスティングしたんじゃないかと思っていて。その正しいことを言う人をああいう風に使うって、ずるいなと。「万引き家族」に肩入れして観てきた人としては、その正しさは冷たいとしか聞こえないじゃない。その身につまされ感。

 

♠誰が家族と決めるのだろう?

おじゃる:刑務所での信代との面会シーンも印象的だった。祥太を拾った場所を口にして「本当の親が見つかるかもしれない」、「わたしたちじゃ育てられないんだよ」と言う信代。ぼくは映画観て泣く方ではないんだけど、あの瞬間にもう涙が…。

さくらい:へええ!

おじゃる:是枝監督は、親になる資格まで問うてくる。愛情を注いで、自分なりに教えられることを子どもに教えていたとしても、それが万引きとなると受け入れられないわけで。「だからわたしたちは子どもを育てる資格がないんだ」と認めざるをえない、信代のあのときの表情がね…。

ワタシ:信代をそう思わしめたのはきっと、取り調べで池脇千鶴扮する警察官に問い詰められる場面。「万引き家族」のあの人たちはたしかに彼らなりに必死で家族を作ろうとしていたけれど、外からはそう認められなくて。一度も「お母さん」と呼んでもらえなかった事実を突きつけられるあの辛さ。「お母さん」って呼べなくても、彼女はあのとき間違いなく子どもたちの母であったと思うので。

おじゃる:ああ、だからこその涙なのかな。実際に子どもたちを育ててきた過去をも否定されちゃっているわけだから。

ワタシ:「万引き家族」の解散と同時に、信代が目指していた「血は繋がらないけれど家族になれるかもしれない」と希望も一緒に頓挫しちゃったように見えてとても残念だなと思うんですよね。

おじゃる:すべて正しいんですよね、正義の人たちの方が。それがやりきれない。

 

♣何によって家族はつながっているんだろう?

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ワタシ:大人たちだけだったらあの家族は成り立っていたと思うんですよ。

さくらい:うん。

ワタシ:大人たちは自ら選んであの家族を作っていたかもしれないけれど、「万引き」されてきた子どもたちの方はそれに巻き込まれたようなもの。その非対称性が家族を解散させたんじゃないかと。

おじゃる:祥太はいやいや万引きをしていたと思う?

ワタシ:じゅりがあの家に加わって、彼女にも万引きを教えることになるくだりがありましたよね。祥太は「男二人のほうがいい」って嫌がったけれど、治に「じゅりも万引きができるようになったほうがあの家にいやすいだろ」と言われて渋々受け入れている。彼は、稼ぎがあることであの家族のなかに居場所を得ていて、万引きが正当な手段だったんだと思うんですよ。でも次第に疑問を持っていく。「このお金はだれのもの?」とか、車上荒らしは「人のものなんじゃないの?」って。成長に伴ってだんだんと罪の意識が芽生えてきて、当初ほど純粋な気持ちでは万引きをできなくなってきたのかなと思います。

おじゃる:ひるがえって、ぼくらはどうだろう? 血の繋がった親に育てられたとはいえ、どの家の子になるかを選択したわけではないという意味ではぼくらもまた巻き込まれた子どもと言えるかもしれない。そこで家族として認められるために受け入れざるを得なかったことが大なり小なりあるような気がして。

ワタシ・さくらい:うん。

おじゃる:家族のなかの慣習のようなもの。たとえば「食べる前に手を合わせて〈いただきます〉と言いましょう」とか「日曜朝は毎週みんなで礼拝に行きましょう」とか。程度の差はあるだろうけれど、誰しも知らずしらず刷り込まれているんじゃないか。それが祥太の場合は万引きという犯罪だった、とも捉えられる。そこはどう考える?

ワタシ:自我が芽生えてきたときに、家族の中で刷り込まれてきた慣習に反抗するって誰にでもありえる話。それを手放したからといってすべからく家族じゃなくなるわけではないですよね?

おじゃる:しかし、それによって「何を以って家族と繋がっていると言えますか?」という問いへのわかりやすい答えがなくなってしまう。結局は血縁を拠りどころにするしかないのだろうか?

さくらい:『万引き家族』はその点、すごく残酷な演出だなと思ったんですよね。祥太の自我の芽生えと万引きの発覚によって盗みという行為も家族の絆ではなくなって、最後の拠りどころが「お互いが家族と思っているかどうか」っていう気持ち一本になってしまった。信代との面会のあと、祥太が「(万引きで捕まったときに他の家族は)本当に逃げようとしたの?」と聞いて、治が「…ああそうだよ」って答えたシーンがありましたよね。あのとき、彼らの親子の関係は終わったのだと思います。お互いの気持ちすらもう家族じゃないということを悟ってしまったから、いよいよただの他人になってしまった。

ワタシ:ああ…。

さくらい:逃げようとしたということを治が正直に認めたのは救いだったと思う。あるいは、それも彼のやさしい嘘だったのかもしれない。信代が覚悟を決めて祥太に「あんたとは一緒にはいられない」と言ったのを受けて、自分もあえて嘘をついた…とも解釈もできますけど。

おじゃる:でもあのお父さんが嘘をつけるとは思えない。

ワタシ:まあそうかも(笑)

さくらい:うん、正直あそこは本当に逃げようとしたんだろうなと思っちゃいますよね。

おじゃる:ぼくらは観ている方として、「そうじゃないと言ってくれ!」と思っているけれど。

さくらい:そして、翌朝のバスで祥太を見送るシーン。治は走り出すバスを追いかけながら祥太の名前を呼ぶけれど、祥太は振り向かない。

おじゃる:あれは名演技よね。あんな情けない走り方…。

さくらい:治はバラバラになってしまった「万引き家族」に未練を残しているけれど、祥太はもう前に向かっている。この対照性の残酷さが祥太の決意を表していますね。

ワタシ:うーん。かつて家族であったものが、家族でなくなるというのが納得いかないというか、わたしはもっと希望的な解釈をしたくて…。

おじゃる:そうしてください、その方がいい(笑)

ワタシ:「万引き家族」は変わり果ててしまったけれど、祥太のアイデンティティとしてあの家族は残り続けるんじゃないかなって。物心ついたときから暮らしたあの家の記憶とともに、あの人たちとたしかに繋がっていたという感覚が。

おじゃる:それは間違いなくそう。

ワタシ:その意味で彼らが家族であったという事実は変わらなくて、それを誰も否定できない。って、わたしは信代に伝えたい。

 

♥さくらい&おじゃる映画コレクション

『そして父になる』『きみはいい子』のほかにも、実際の収録時には実に30本近い作品が話題にのぼりました…! せっかくなので、ここでその一部をご紹介。

『愛のむきだし』(監督:園子温)
おじゃる:満島ひかりの出世作。はちゃめちゃな映画なんだけど、そこでモンスターとして君臨するのが安藤サクラ。おすすめするかっていうと…あまりにも強烈な映画なのでなんとも(笑) 安藤サクラは本当にすごい。

『ライフ・イズ・ビューティフル』(監督:ロベルト・ベニーニ)
さくらい:お父さんのやさしい嘘といえばこれ。名作です。

『チョコレートドーナツ』(監督:トラビス・ファイン)
おじゃる:血の繋がらない親子の話、といえば。ゲイのカップルが葛藤しながらも養子を育てる。家族の形というものをダイレクトに突きつけてくる。

『幼な子われらに生まれ』(監督:三島有紀子)
ワタシ:ステップファミリーの葛藤をドロドロと描いている。原作は重松清。世の中に染みついている血のつながりへのこだわりを悶々と考えてしまいます。